バッティングと目
野球のピッチャーズマウンドからホームベースまでは18.44メートルある。振り下ろされたピッチャーの手を離れて、打者のバットに当たるまでにボールが飛ぶ距離を、それより約1メートル短く、17.5メートルとして考えてみよう。時速140キロのボールの場合、この間秒速38.9メートルの速さで0.45秒かかって飛行する。打者は投げられた球種とコースを判断してバットを振るのだが、スイングに要する時間を長距離打者の平均の0.22秒と仮定すると、打者はボールがバットとぶつかる0.22秒前、すなわちボールがピッチャーの手を離れて0.23秒後にスイングを開始しなければならない。ボールがピッチャーの手を離れて8.9メートル進んだ所で打者はバットを振り始め、少しづつ修正を加えながら力をこめて振ることになる。
ボールがバットの力学的中心(芯)に当たらないと、ボテボテのゴロか、フラフラと上がるフライになってしまう。また、芯に当たってカーンと快音を残して飛んでも、野手の正面にいくとヒットにはならない。新聞の活字が大きくなる打率三割の打者とそうでない二割九分の打者のヒット数は、打数100に対し1本の差でしかない。何と厳しい打者生活であろうか。
このバッティングの話には幾つかのポイントがある。
その1:ボールの飛行時間はきまっているのだから、スイングに要する時間が短ければ、それだけ長い時間ボールを見ることができる。もし、パリーグのイチロー選手のスイングが巷で言われているように0.16秒ならば、彼はピッチャーの手を離れたボールが0.92秒、距離にして11.3メートル飛行する間ボールを見ることができる。スイング時間0.22秒打者と0.16秒打者とでは、時間にして0.06秒、距離では約2.3メートル、ボールを見る時間あるいは距離の差がある。この差は大きい。特にボールが変化する時は一層効果のある差となる。早いスイングの打者のほうが有利なのである。
その2:限られたスイング時間、限られた見極め時間なので、動体視力がよいほうが有利である。動くボールを見る時は、普通の視力ではなく動体視力が働く。ノン・プロの野球選手の視機能検査では、オリンピックの候補に選ばれた選手群と選ばれなかった選手群の間に、明らかな動体視力の差があった。動体視力検査をして候補選手を選んだのではなく、競技力で選考したところ、やはり優秀な選手の動体視力は優秀であったというわけだ。
ある実業団野球チームの選手をバッティング力でABCの3ランクに分け、動体視力を各自50回連続して測定したところ、好打者ぞろいのAランクの選手たちは、常に一定して良い検査結果であったが、バッティングの良くないCランクの選手は、全体に悪い成績でしかも測定の度に成績が良くなったり悪くなったり一定しなかった。Cランクの選手は同じボールが見えたり見えなかったりしているのだから、良い打率が残せるはずがない。広島カープの分析によると、動体視力の優秀な若手選手は、将来一軍レギュラーになる可能性が高いそうだ。ボールをバットの芯でとらえるためには、瞬間的に判断できる良い動体視力が必要なのだ。
この動体視力は、ある程度トレーニングできる。秋田大学の前田先生は、高校生に超速球を見せて訓練したところ、早いボールが見えるようになったと報告している。ホームラン王であった王貞治氏は「最近は、ピッチャーの投球練習の時に、バッターボックスに立たせてもらって、見るトレーニングをする若い選手が少なくなった」と嘆いていたが、それだけ自覚ある選手が少なくなったということか。
その3:ボールの速度が少し早くなっただけでもピッチャーの球威は大きく増す。ボールの早さが10キロ(7.1%)アップして時速150キロになると、その秒速は41.7メートルになり、距離17.5メートルを0.42秒で飛ぶ。これは時速140キロの時より、0.03秒短く、距離にしてその差は1.2メートル。これだけの差があれば、打者はうんと早く感じるはずで、スイングのタイミングがとれない。したがってヒットは出にくくなる。名ピッチャーの条件の一つである。その1に出てきたスイング時間の差、すなわち見極め時間の差0.06秒は距離の差では2.5メートルに広がる。ここでも、やはりスイングの早い打者の方が有利だ。
その4:王貞治氏によると「バッターに必要な事は、集中力」だそうだ。彼の有名なバッティング練習がある。つり下げた紙片を、力一杯スイングした刀で切るのだが、この時紙の面に刃があたっても紙は切れない。刃が紙の「端に直角」に当たった時に切れるのである。刀を構え、意識を紙の動きに集中したままタイミングを待つ。真剣の勝負である。あれこれ計算をしているうちに、ぼつぼつ私の集中力は切れてきたようだ。これでは、私はいい打者になれそうもない。
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